こんにちは。早川公と申します。今年もよろしくお願いします。今回の記事ではもう少しePARAの取組みを考えるうえで大切そうな文化人類学の概念を書くところから始めてみたいと思います。
文化人類学の成果
文化人類学の基本的姿勢は前回の記事「文化人類学者・早川公が語る!障害とゲームとSDGs」でざっとふれましたが、その考えは最初から確立されていたわけではありません。それは、各時代の先駆者たちが、人類の諸問題との関わりから悩みぬいて考えだした成果でもありました。その流れを簡単に時を追ってみていきたいと思います。
社会は進化するもの?
大航海時代以降、西欧の人たちが「新世界」で出くわした人たちの風習や生活様式、あるいは世界観を「奇妙なこと」として書き留めるようになりました。それが(文化人類学に連なる)学問的な様相になっていくのは、「社会は次第に進歩し発展する」という社会進化論の考え方が発明されてからのことです。つまり、西欧の人たちが自分たちの社会の「原型」として「新世界」を理解しようとしたわけです。当時はこれはこれで真剣に人間を理解しようとした試みでもあるわけですが、やはりそこには「進んだ西欧(我々)」と「遅れた未開(彼ら)」という二分法的な世界観が反映されていました。
こうした考え方は、自文化(民族)中心主義として否定されるようになりますが、ここで注意しなければいけないのは、こうした二分法的な考え方は古い遺物でもなんでもなく、今も我々の社会に存在するものだという点です。だからこそ、わたしたちはそうした「素朴」な考え方をメンテナンスしていくことが大切です。
文化相対主義ってなに?
自文化中心主義に対して、そもそも文化に優劣や遅れなどはなく、固有の価値観を認めていこう、という考え方が文化相対主義です。自分たちにとって理解できないような風習であっても、それは環境や歴史的条件の下で人びとが世界を理解する仕方であるとわかるのが大切、というわけですね。この概念の発明が、ある意味で近代の文化人類学の始まりともいえます。これによって、わたしたちは他者を尊重して理解するための出発点を獲得できたわけです。
けれども、こうした説明で誤解されがちなのが、文化相対主義の考え方はともすれば「違う文化(=世界)に生きているなら、お互い交じる必要はないよね」という発想を呼び起こしてしまうことです。不便や不愉快になるくらいなら別々に生きよう…というソリューションなわけですね。ただそれは、変わらない自分(と相手)を前提としているという点で文化相対主義ではありません。自分の変わらなさを前提とするのは心情的にはよくわかります。かといって「難しいからやらなくていい(一部の人ができればいい)」というわけではありません。文化相対主義では、「他者を理解しようとすること」と「自分が変わる(変えられる)可能性」があわせて担保される必要があります。それをふまえて、文化相対主義を定義するなら、次のようになります。
「他者に対して、自己とは異なった存在であることを容認し、自分たちの価値や見解(=自文化)において問われていないことがらを問い直し、他者に対する理解と対話をめざす倫理的態度」
(池田光穂解説 文化相対主義より抜粋)
つまり、文化相対主義は知識であり態度(アティチュード)だ、ということになります。共に生きていくための作法、と言ってもいいかもしれません。個人的には、お酒の注ぎ方よりも大人として必要なマナーだと思っています。
SDGsと文化相対主義
先ほどSDGsの話を出しましたが、この文化相対主義の態度はSDGsにとってもとても重要な意味を持ちます。SDGsの話にはしばしば「包摂的な(inclusive)社会」という言葉が出てきます。この言葉は、ともすれば「今の世界」を前提としてそこに排除された人を入れ込んでいくようなニュアンスを感じます。ですが、大切なのは「今の世界」が誰かを排除してる可能性を考える、つまり上の定義に重ねれば「自分の価値や見解において問われていないことがら」を問いなおすことです。同じように「多様性」も丁寧に扱いたい言葉です。多様性は、それそのものに価値があることが前提であって、例えば「イノベーション」のような「今の世界」に主流の価値観の役に立つから大事だというわけではないのです。
ひるがえってePARAを考える
「今の世界」をはみだしてゆく
ここまで書いたことをもとに、あらためてePARAとの話を書いていきたいと思います。
この記事を書く前に、代表の加藤さんとZoomでお話する機会をいただきました。そこで物心ついた時からゲームをやってる自分がまったく想像もしなかった話をたくさん聞くことができました。とくに「目が見えるのが前提」でゲームがつくられていることは、まさにわたしにとっての「問われていないことがら」そのものだったのです。それから、ePARAに掲載されている執筆者の記事を読むと「問われていないことがら」に気づかされることばかりです。
例えば、手掌多汗症でtoraさんは、その障害によってコントローラーを5台壊している、というエピソードをさらりと紹介します。(さらりと、です。)
また視野狭窄症のひろさんの記事では、視覚障害者のゲーム体験にとって大切なことは、ゲームにつきものの勝敗ではなく長く楽しめることだと自身の経験からつづります。
さらに、ADHDのイラストレーター紡姫うさぎさんの記事では、ゲームをじぶん自身の理解を深めるものととらえます。例えば、ゲームにおける難関バトルをクリアするための事前準備を「予習」の文化と表現し、「うっかりミスが多い」という障害の特性を乗り越える契機へと書き換えます。
これらの体験談には、「気づきを得た」なんていう、自分の世界に他者を引き込むような言葉遣いでは語れない豊かさが存在しています。
(第1回目の執筆から間が空いたのは、そんな「なんちゃって」な自分が何を言えるだろうか、というためらいでもありました。障害の当事者の本もいくつか買って読んだりもしましたが、これについては正直まだまだ追いついたとは言えない状況です。)
この「問われていないことがら」を問い直した先に何があるのでしょうか。その答えの一つは、昨年初めて観戦したePARAの大会の中にありました。
コンヴィヴィアルな世界を垣間見る〜初のePARA大会観覧記に代えて
わたしは、2020年秋に開催されたePARA CHAMPIONSHIP version:Aim Highの前半戦CALL OF DUTY:MOBILE、後半戦鉄拳7をYoutubeで観覧しました。ゲームについては、「どうやっているかわからない」の一言に尽きます。
えっ、目が見えないで、聴こえないで、この動きができるの?どういうこと??…という感じです。さらに、そもそもこの企画が、オンラインやオフラインの環境をどういう風に構築して成り立っているのか、そういう舞台装置も含めてハテナが乱舞する時間でした。
また1回目の大会では、Team-ePARAの応援メンバーが語らうDiscordにも混ぜてもらいました。Discordがゲーム愛好家に御用達のツールであることは頭では知っていましたが、体で経験したのは初めてです。誰かのゲームを観るのは少年時代から何度も「対面」でやってきたものの、こうしたオンラインで自宅に居ながらほぼ初対面の人たちとプレイについて語ることは体験したことのない昂揚感がありました。
もちろんこれはePARAだからという部分とそうでない部分もあるでしょう。それこそゲーム愛好家や他のジャンルのYoutube Liveで楽しむ際にもこういう〈文化〉があるのかもしれません。(そこは年をとったんだなあ、としみじみ思います…。)でも、その部分を差し引いても、ePARAが「障害を抱えた人ががんばるのを傍観する」のとは異なる場所を具現化しているように思えました。
このことに関連して、日本に100人ほどしかいない難病のアイザックス症候群のゲーマー・まるぽすさんは、ePARAの取組みを「壁をぶち破るもの」と記事で表現します。「壁(バリア)」は他のライターにもしばしば登場する表現です(例えば、ちえさんの海外の友人とのテトリスの記事)。個人的にその表現は好きですが、文化相対主義の方法を喩えるなら壁なら解かす、あるいは壁だと思っていたものを転用してしまう、とでも言えるかもしれません。
他者(人間だけでなく自然も含む)との関係性の中で自由を享受し、創造性を発揮していく可能性を、イヴァン・イリイチという思想家はコンヴィヴィアリティという言葉に託しました。コンヴィヴィアリティは共生(自立共生とも)と訳されたりしますが、わたしは「共愉」という訳語が好きです。
共に愉(たの)しむ。
こどもの頃につくった秘密基地のようなあのワクワク感が、この世界の縁辺で変革の形を織り成そうとしているような、そんな可能性をそこに垣間見るのは考えすぎでしょうか。出来合いの枠組みを消費するだけでなく、誰もが生き生きと生きられるための遊び場をじぶんたちで設えようとする試みとして、これからもePARAをわたし自身が変わってゆく契機として、追っていきたいと思っています。
早川公 著書
まちづくりのエスノグラフィ: 《つくば》を織り合わせる人類学的実践