コロナ禍で何もかもが変わってしまった__日本初の「障害者雇用支援を目的とするeスポーツ大会」を開催後に大きな注目を浴びながらも、コロナウイルス感染症拡大の影響により準備していた企画が全て白紙に。「ピンチはチャンス」と自分に言い聞かせて、第1回目の緊急事態宣明け直後に、前例のない「完全リモート(運営・選手・実況解説者も含め自宅から参加)のeスポーツ大会」を実現したePARA代表・加藤大貴に直撃インタビュー。バリアフリーeスポーツの歴史と今後の展望を聞いた。
(経歴)
愛知県西春日井郡(現 北名古屋市)出身。埼玉県戸田市在住。二児の父。
国家公務員(裁判所職員)として8年間勤務後、品川区社会福祉協議会に入職。
株式会社ePARA代表取締役。NPO市民後見支援協会理事。
「裁判所を辞めたい」と妻と子にプレゼンした夜
-なぜ安定した国家公務員(裁判所書記官)という地位を捨てて福祉の世界に飛び出したのですか。
「認知症とアルコール依存症を併発した祖母の存在により両親が疲弊していくのを目の当たりにして、身近に頼れる「成年後見人(※1)」の存在が必要だと考えました。成年後見制度の広報活動をしたいと思い声を上げ続けましたが、裁判所の中にいては限界があり、外に飛び出ることにしました。」
※1 認知症高齢者や障害者等、判断能力が不十分な人に法律上の支援をする制度。
―公務員を辞めると決断したとき、奥様は最初から賛成しましたか?
「ぜんぜん!辞める直前の夕食時には、今後の計画を書いたパワーポイント資料を片手に退職プレゼンを連日行いました。冷ややかな雰囲気に耐えきれなくなった息子と娘は、『早くLEGOブロックで遊ぼーよ』と気を使ってくれました(笑)。最終的には、根負けした妻から『どーせ止めても聞かないんでしょ』と言われ、応援してくれるようになりました。」
eスポーツとの出会い
ーePARAを立ち上げ、eスポーツを通じて障害のある方々のサポートをしていこうと思ったきっかけを教えてください。
「公務員を辞めたあと、福祉業界で就職し、念願だった成年後見活動に従事しました。障者者との接点が多くなるにつれ、実際に飛び込んで、比較的若い障害者の方とお話をしていて思ったのは、『自分たちと遠くない存在である』ということです。もちろん障害があるから、できないこともあります。でも、実際に話して出てくる話題はアニメやゲームといった趣味のこと、そして恋愛の話題まで。ふだん健常者と呼ばれる私たちが話していることと、そう変わりません。このことは実際に出会ってみないと気づけないことでした。
ある日、eスポーツは障害者にも人気であるという記事を目にして、成年後見制度の広報に取り入れたいなと考えました。ただ、eスポーツについて全く門外漢だったので、専門の方に話を聞くためのアプローチをしました。そこで出会ったのがeスポーツのイベント運営企業を経営している株式会社カナグ代表取締役の別城翔さんでした。」
障害者eスポーツ大会の視察と第1回ePARA大会の準備
ー2019年11月に開催された第1回大会の経緯を教えてください。
「2019年の夏、群馬県高崎市で開催された障害者eスポーツ大会に別城さんと一緒に視察に行きました。そこで障害者の皆さんが生き生きと活躍している姿に感銘を受けた私達二人は、「東京でも同様のイベントを開催したい!」と思い、障害者eスポーツ大会「ePARA2019」の開催に向けて動き始めます。クラウドファンディングでの資金調達もはじめ、開催まで日のない中、一気に忙しくなりました。」
ー大会の企画・運営で苦労したことや気づいた点はありますか?
「バリアフリー設備のある会場探しには非常に苦労しました。段差がなく、多目的トイレを備えた会場というのは限られていて、予算に見合うものとなるともっと少なかったのです。
また、大会終了後「音や光の刺激で疲れてしまったので、休憩室が欲しかった」など、私たちが気づかなかったような点についての感想もありました。やはり、やってみないとわからないことというのはたくさんあります。」
Withコロナ時代のオンラインeスポーツ大会「ePARA2020」
ー第1回ePARA大会後はどのような活動をしたのでしょうか?
「2020年に入り私たちは次のイベントに向けて新たな会場選定などの準備を始めます。しかし、ここで世の中が予想外の方向に大きく動いてしまいます。新型コロナウィルスの流行です。当時準備をしていたイベントはすべて白紙に。この状況には頭を抱えるしかありませんでした。」
ーその状況にどのように対応したのですか?
「『eスポーツならオンラインでも交流が図れるのでは』と、オンラインイベントとして開催することを目指しました。緊急事態宣言下(※2)での企画をすすめていたため、『今はおとなしくしていた方が良い』という声もありましたが、『こんな時期だから開催すべきなんです!』と関係者を口説き落とし、2020年5月31日、完全オンライン開催の「ePARA2020」を開催しました。講演と大会を合わせて4時間に及ぶイベントは盛況の中、無事終幕しました。」
※2 首都圏1都3県では2020年4月7日から同年5月25日までの期間。
数々の伝説が生まれた「ePARA CHAMPIONSHIP」
ー「ePARA2020」以降の活動を教えてください。
「『ePARA2020』の翌週から私たちは、『部活動』と題し、eスポーツの定例会をはじめました。様々なゲームタイトルを週替りでプレイし、それをきっかけにバリアフリーeスポーツに関するニュースサイトePARAで記事を書いてもらうなど、eスポーツに関連する新たな仕事づくりにも取り組みました。」
ーイベントや大会の主催も行ったのでしょうか?
「2020年8月には『VALORANT企業交流戦』を行い、さらに、10月・11月の2ヶ月に渡って『ePARA CHAMPIONSHIP』というFPSと格闘の2つのジャンルを4企業が争う企業交流戦を開催しました。
この大会では、FPS部門で聴覚障害の選手がボイスチャットでの連携を駆使しながらの参戦や、格闘ゲーム部門で全盲のプレイヤー2名が参戦など、障害のバリアを乗り越える挑戦も行いました。見えないのにどうやって格闘ゲームで戦うのか、疑問に思われる方がほとんどだと思います。このとき彼らはDiscordの画面共有機能を使い、別の障害を持つ晴眼者(目が見える方)による音声支援を受けながら戦いました。ステージの状況などを晴眼者が音声化して伝えながら戦う方法です。私も挑戦を決めた当初は挑戦として成立するのか心配だったのですが、実際に大会で全盲の方が晴眼者の選手を相手に1勝を挙げたときは泣きそうになったのを覚えています。」
ePARA代表 加藤が目指す「自分らしく生きていける」世界
ー改めて「国家公務員を辞めてまで実現したかったこと」は何ですか?
「私が実現したいことは、一貫して『自分らしく生きていける社会をつくる』ということです。裁判所で働いている時、認知症の老人の相談に対し、決められたテンプレートを機械的に伝えることしかできない無力感に包まれたことがありました。ここでは私個人としての『自分らしさ』は十分に発揮できないと感じました。
裁判所を辞め、福祉業界に飛び込んだときに『eスポーツ』に出会い、『バリアフリーeスポーツ』(※3)という活動を広げれば、自分らしく生きていける世界を創っていくことができると確信しました。『バリアフリーeスポーツ』でたくさんの障害者が活躍し、それが就労につながることで、『自分らしく生きていける』実例を増やしていきたいのです。それを物語として発信していくことで、世間の人たちに『病気になっても、障害を抱えたとしても、自分らしく生きていける』という希望につながればと願ってます。
『バリアフリーeスポーツ』の世界は始まったばかりです。まだまだたくさんのバリアがあります。バリアの一つ一つと向き合いながら、障害を持つ方々のeスポーツでの活躍を支援していきます。」
※3 年齢・性別・時間・場所・障害の有無を問わず参加できる環境の下行われるeスポーツ。
ePARAのこれから
ー2021年の活動予定を教えて下さい。
「今年の3月1日から法定雇用率(※4)が引き上げられ、企業の障害者雇用に対する熱意が高まっている状況があるものの、コロナの影響で就職説明会が開催できない状況が続いています。そこで私達はeスポーツで培ったオンラインイベントの運営ノウハウを活かし、4月25日に日本で初めての『障害者VR/テレワーク就職フェスティバル』をオンラインで開催します。
また、昨年のeスポーツ特化型ビジネスコンテストで優勝した企画である『バリアフリーeスポーツカフェ』の開設を今春行いたいと準備しています。その他、バリアフリーeスポーツイベントや新たな企画は順次、発表していきます。続報はバリアフリーeスポーツに関するニュースサイトePARAやePARA公式Twitter等でお知らせします。お楽しみに!」
※4 一定数以上の労働者を雇用している企業や地方公共団体を対象に、常用労働者のうち「障害者」をどのくらいの割合で雇う必要があるかを定めた基準。
活動を開始した矢先のコロナ禍による社会の急変。その中で軸足をオンラインにシフトして歩みを進めたePARAの活動はいま、少しずつ実を結び始めている。これからの社会において『バリアフリーeスポーツ』を通じて、障害の有無を問わない相互理解や、障害者の社会参画の可能性が大きく広がる。今回のインタビューはそんな未来を期待させるものとなった。
コロナ禍の影響で先行きの不透明さが払拭できない中、企業の業績悪化に伴う障害者の雇用減少は不安視されている。その解決に向けた方策の一つとして、バリアフリーeスポーツが光明となることを願ってやまない。