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Fortia 障害とゲーム

壁を壊すのは、いつだって内側からだ。 重度身体障害者の私がePARAに入社し、挑戦したい事

はじめまして。株式会社ePARAの畠山駿也です。ネット上ではJeniという名前で普段は活動しています。

今回は、重度身体障害者(進行性筋ジストロフィー)の私がゲームをプレイする理由と、一人のゲーマーとしてePARAに入社し、これから挑戦したい事をお話したいと思います。

どんな壁にも挑戦するチャンスは必ずある。

"あれ、これひょっとしたら無理かもしれない。”と何かを諦めそうになったり、挫けそうになった経験は誰しも一度はあるのではないでしょうか。

私は学生だった頃、”どうせ無理”という言葉をよく使う人間でした。
持病の関係で身の回りの世話ですら自分でやる事ができなかった私は、「周りを巻き込んで迷惑をかけたくない。それなら最初から何もしなくて良い」と思うようになりました。「迷惑をかけるくらいなら何もしなくて良い。」と思うようになってから、心は内側に向いていき、だんだんと人との壁を作るようになっていきました。

ある時、そんな私の心をひっくり返すような出会いがありました。


それは、格闘ゲームとの出会いでした。

格闘ゲームとの出会い

子供の頃から外で遊ぶこともできなかった私は、コントローラーを握る事ができれば誰とでも対等に競技ができる対戦ゲームが唯一の趣味でした。

ある日、動画サイトでストリートファイター4の世界大会の映像を見ました。ストリートファイター4の世界戦、日本のウメハラ選手対、アメリカのジャスティンウォン選手の対戦動画でした。巨大スクリーンに映される対戦映像、観客の熱狂を見て、物凄く感動したのを覚えています。(Street Fighter4 US National Tornament Finals exhibition)

ゲームセンターでの対戦映像や、格闘ゲームコミュニティの歴史に触れていく中で、オフラインでゲーマー同士交流ができるゲームセンターは輝いて見えました。

私は、手のひら位しかまともに動かすことができずうまく操作ができるか不安になりながらも、1年近く悩んだ末にスーパーストリートファイター4とPS3を購入しました。

私は不安だった事なんか忘れてしまうくらいに、のめり込んで行きました。できなかったコンボは遊べば遊ぶほど、上手くなる事ができました。ゲームを通して、強くなるためにどうしたら良いのかを考え、工夫することを学びました。課題に直面した時、どうしたら良いのかを考え続けていると、自分で調べて学び解決する事、それでも難しい時は周りにアドバイスを求めたりする事ができるようになりました。

一人で買い物もできなかった私は、格闘ゲームを通して自分と向き合うことで、自分で作った周りとの壁を壊すことができました。

格闘ゲームは、”どうせ無理”という言葉や、臆病だった私を真正面から否定してくれたのです。

格闘ゲームを続けていると、全国に仲間ができました。オンライン大会に出たり、仲良くなったメンバーで旅行に行ったりと、たくさんの思い出ができました。

旅行に行く直前の写真

何度も立ち止まって 見つけた物

負けたら理由を考える。失敗したら改善策を考える。だったらこうしよう。そんな考え方を身に着けてからというものの、どうせ無理という言葉は出なくなりました。

格闘ゲームが私の人生を変えてくれたと言っても過言ではありません。

それでも、私はある日を境に大好きだった格闘ゲームを辞めてしまいました。

理由は、病気の進行で以前のようにコントローラーを握って遊べなくなったからでした。

できていたコンボができなくなった事。同時押しができなくなった事。対空が遅くなった事。それらは自分ひとりの努力や練習で解決できる課題ではありませんでした。

コントローラーが握られなくなってからも、方法を考えて復帰しようとしました。それでも、いくら軽いコントローラーを買ったり小さいコントローラーを探しても、握る力がなく当時の技術では操作することはできませんでした。最初は悔しくてしょうがなかったです。でも、立ち止まってはいられませんでした。

きっぱりと気持ちを切り替えて違うゲームをすることにしました。仲間から誘われてリーグオブレジェンドというゲームを始めました。あの頃と同じくらい、自分なりに真剣に遊びました。

一生懸命ゲームをして、一生懸命仕事をして、色んな事に挑戦しました。

ゲーム仲間との忘年会の様子

ある日、特別支援学校に講演会の依頼を受けました。
進路が決まらず、色んな事を諦めて気持ちが内に向いてしまっている子供達に、一歩踏み出すことの大切さを教えて欲しいという依頼内容でした。

一歩踏み出す勇気ってなんだろうか。


今までを振り返ってみた時、私はどこから一歩踏み出す勇気を学んだのかを思い出しました。

私にずっと勇気を与えてくれたのは、ゲームだったのです。

ゲームを始めなかったらパソコンを覚えることも、インターネットを通し仲間と出会い、狭かった視野が広がる事もありませんでした。

格闘ゲームを始めていなかったら、時に前に歩く事も、時にしゃがんで空を見上げる事もありませんでした。

ずっと下を見ていた私は、気が付くと前を見るようになっていたのです。

過去を改めて振り返る機会なんて今まで無かった私はその時に、自分にとって大切な物をその時に思い出す事ができました。

京都へ旅行に行ったときの集合写真

「もし格闘ゲームと出会っていなかったら、私は今もどうせ無理という言葉にしがみついて生きていたと思います。」

講演から帰ってからずっと、私はモヤモヤしていました。
思い出話を雄弁に語っている自分がダサすぎて、過去にしがみついて生きているようだったからです。必死だったあの頃の自分が、今の私を見たら、ダサいと思わうんじゃないか。なんでも挑戦することが大事と口からこぼす度に、私はどんどん苦しくなりました。

何度でも立ち止まって また何度でも走り始めればいい

あの日から立ち止まっていた私は、生きながらにして死んでいるだけでした。

毎日が楽しくなかったわけではありません。それでも、心の中ではどこか物足りなさを感じていた事は確かでした。

「1回きりの人生なんだし、好きなことに必死で全部ベットする期間があっても良いかもしれない。」と思い、2021年の4月に私は会社を辞めました。

なんでも挑戦することが大事とか言っておいて、大切な物と向き合えていなかった私は、もう一度自分と勝負する事にしました。

手がうまく動かないなら顎で操作すれば良い。コントローラーを固定し、顎でレバー操作、キーボードでボタン操作をする形でストリートファイター5を始めました。

どんな泥臭くたって良い。あの頃より上手くできなくたって良い。もう一度挑戦する事に意味があるんだと自分に言い聞かせました。

顎での操作はコントローラーの固定が甘くとても揺れました。思った通りの方向にレバーが入らなかったり、あの頃のように上手くできない自分を受け入れる事は精神的しんどかったです。具合が悪くて吐きそうになりながらゲームをやっていた事もしょっちゅうで、がむしゃらに練習をして、顎の皮膚は擦り切れ、顎にはニキビができました。

顎でレバー操作、キーボードとマウスにボタンを割り当ててプレイしていた。

もっと強くなるために快適なコントローラーがほしい。考えた結果、世の中にないんだったら作るしかないと思い、いろんな方の協力を得ながら自作でコントローラーを製作することにしました。

高さや角度を自由に調整できる剛性の高い固定アーム、レバーが8方向にしっかり入る、筋力がなくても操作ができる顎専用コントローラーを作成しました。

皮膚はどれだけ顎に負担がかかっていたのかとびっくりするくらいに綺麗になり、自分には無理だと思っていた真空波動コマンドも出せるようになりました。

操作への不安は完全に消え去り、格闘ゲーマーだと言える所まで私は戻ってくる事ができました。

完成したコントローラー

私が叶えたい事

あの頃の私に解決することができなかった課題は、いろんな方に助けられながら今叶える事ができました。

そのどうせ無理だと思うような壁にも、挑戦するチャンスはあるという事を私は学びました。

何度も挫けて、何度も立ち止まりました。あの日自分で作ったバリアも、あの日自分で諦めた事も、結局すべては自ら作った壁でした。

格闘ゲームを通して、死ぬこと以外は全て安い行動ということを学びました。

何もせずにただ守っているだけでは、体力が削れるだけの人生です。

時にはしゃがんで空を見上げ、時には立ち上がり、前に歩く事を教えてくれたあのプロゲーマーのように、私はこれからも挑戦し続けたいと思います。

どんな壁にだって挑戦するチャンスはある。

壁を壊すのは、いつだって 内側からだ。

Jeni

参考URL

ライター:Jeni / 畠山駿也
Twitter:https://twitter.com/jenixo0
note:ゲームに人生を狂わされた話
テレビ出演:https://twitter.com/jenixo0/status/1429388344857825286

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