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障害とゲーム

全盲ゲーマーDYが、ゲームから遠ざかった理由

私は、普段はマッサージ師として訪問マッサージの業務に従事しています。中学生の息子と、間もなく1歳になる娘の二児の父です。
子育てはいろいろと難しいところもあり、例えば思春期の息子がひそかに抱えている悩みだったり、泣いている赤ちゃんのその理由もうまくつかめなくて四苦八苦する日々ですが、ヘルパーの力も借りて夫婦で協力しながら楽しく生活しています。

今回は、私とテレビゲームの関係を振り返ってその歩みをまとめたいと思います。

視覚障害とDY

私は昭和54年4月、「先天性角膜混濁(ピータース異常)」というちょっと特殊な目の病気を持って生まれました。
視力は、11歳までは両目とも光覚もあって、色の識別や、3メートルぐらい先に人や車があるということぐらいはわかっていましたが、誰であるかを判別することはできないぐらいの視力でした。

幼少の頃は白杖なしで近所の自販機までお使いでたばこを買いに行くことができました。
テレビも画面に30センチぐらい接近すればその内容を理解することはできていました。
今では無理ですがマジックなど太い文字で大きく書いてもらえばひらがな、カタカナ程度は読めました。

17歳には両目の眼球を失い、今は全盲で義眼です。

全盲DYのゲーム遍歴

ゲームセンターとファミコン

私のゲームの出会いは、幼いころによく行っていた遊園地のゲームセンターでした。
今では珍しくなった上から見下ろすタイプのレースゲームや、ギャラクシアンやギャラガのようなテーブル型の筐体で画面上の敵を打つようなものを好んでプレイしていたと記憶しています。

そんな折、「ファミリーコンピュータ登場」というテレビCMを目にします。これは当時5歳の私の好奇心を刺激するには十分でした。

ファミコンが欲しくなった私はねだりにねだって、私が6歳の誕生日に我が家にファミコンがやってきました。しかし私のファミコンはいつの間にか親戚のところへ引き取られていきました。
一度だけ「僕のファミコンは?」と聞いたら「目が今よりも悪くなっちゃうから、目がよくなったら遊ぼうね」となだめすかされて、自分も「ならしょうがないか」と納得。
以降、ファミコンのことを聞くことはありませんでした。
ただ、友達の家に行くとスーパーマリオブラザーズやポートピア連続殺人事件などがあったのでゲームの横に座って友達のプレイを見ていました。

ファミリーコンピューターの箱の画像

ゲームボーイとゲームギア

転機は、ゲームボーイの登場です。
発売の翌年、クリスマスプレゼントとしてもらいました。
喜んだのもつかの間、ゲームボーイの画面がまったく見えないことに気づきました。
光を反射する方式のディスプレイで、私のように画面に目を近づけて見るプレイヤーには影ができてしまって見えなかったのです。
それを母に話すと、母はファミコンを返してくれました。私はそれから、ピンボールとゴルフなどのゲームを夢中で遊びました。

11歳のときに左目の手術のために入院。

家族や親せきからのお見舞いの品に、スーパーマリオの1と3をリクエスト。夢中で遊びました。友達のプレイを横で見ていたあのスーパーマリオを自分で操作できて感動しました。

入院中は病室にゲームボーイを持ち込み音だけで遊んでいたのですが、担当医が「ゲームギアはバックライトだから君でも見えるかもしれないね」と教えてくれました。
早速買ってもらったところ、ゲームギアはゲームボーイに比べてはるかに見ることができました
小学6年から中学1年ぐらいまではファミコン、ゲームギアを死ぬほど遊びました。
エンディングまで自力でいったソフトは少ないのですが、アクションからRPGまで当時の名作はほとんどやっていたと思います。

ゲームギアの箱の画像

PCエンジンとスーパーファミコン

次の転機は中学1年。

ローカル局でやっていたゲーム情報番組でPCエンジンのあるゲームに有名な声優さんが声を当てているの知りまして、「これがほしい」と思いました。
お年玉で購入しました。

PCエンジンもいろいろなソフトで遊びました。

このころ私の中でプロレスブームがあり、ファイヤープロレスリングシリーズを始めいろんなプロレスゲームを遊んでいます。
RPGにも手を出しました。PCエンジンは主要な会話に肉声やアニメーションが入り、RPGがずいぶんやりやすくなったと感じました。

中学時代は私がゲームを一番遊んでいた頃だと思います。

中2になると対戦型格闘ゲームが遊びたいからという理由でスーパーファミコンを手に入れました。
次にソニックシリーズが遊びたいからという理由でメガドライブを手に入れています。
スーパーファミコンではスーパーストリートファイターⅡ、メガドライブではソニック・ザ・ヘッジホッグ2を遊び倒しました。

このころに出会った「実況パワフルプロ野球」で野球のルールの細かいところを知ることができました。
それまで関心のなかったプロ野球に興味が沸き、本物の実況を聞くためにラジオの野球中継を聞くようになりました。

スーパーファミコンの箱の画像

セガサターン購入後、全盲に

高校に入るとセガサターンを買いましたが、その年の5月、右目の眼球も摘出することになり全盲になりました

こうなるとRPGはフィールド移動すらできません。
アクションもどこに穴があって敵がいてどのタイミングでジャンプすればいいかがまったくわかりません。
レースゲームもコースアウトの連続で話になりません。
気づけば、格闘ゲーム以外はほとんどプレイしなくなりました。
(ただし、先輩から譲り受けたときめきメモリアルにも例外的にはまりました)

驚きと感動の名作「リアルサウンド~風のリグレット~」

ここで、セガサターンで出会った、私のゲーム人生で大きな驚きと感動を与えてくれた1作品を紹介させてください。
それは「リアルサウンド~風のリグレット~」という作品です。

このゲームは音だけで楽しむという斬新なコンセプトで、映像がありません
「このゲームなら遊べるかもしれない」と興味本位で購入しました。
本当に映像がなく、部屋をのぞきにきた家族に「テレビ壊れた?」と言われたのを鮮明に憶えています。
このゲームはエンディングまで完全に人の力を借りず、自力で遊ぶことができました
またマルチシナリオなのでいろんなエンディングにたどり着きたくて何度もプレイしました。

ある日、このゲームのケースに点字の案内が1枚入っていることに気づきました。
内容は、発売元に問い合わせると点字の説明書をお送りしますというもので、早速問い合わせると数日後、本当に点字の説明書が送られてきました。

書いてあったことは基本操作コンセプトのようなことだけでした。
それでも一般向けに販売されるゲームに点字の説明書が用意されていることは衝撃的で、ものすごく感動したことを憶えています。

開発者である飯野賢治氏は、視覚障害の人にも健常者と同じようにゲームで楽しんでもらいたいという思いがあったようです。
飯野賢治氏の思いを綴ったブログが実に良かったので、興味がありましたらぜひ合わせてお読みください。

セガサターン専用ソフト、リアルサウンド風のリグレットの画像

プレイステーション2

セガサターンのあとは少しだけゲームから距離をおいた生活になりました。

当時お付き合いしていた女性と桃太郎電鉄をやりたいという理由でプレイステーション2を買いました。
また、格闘ゲームやパチスロシミュレーターもいくつか買いました。
飛行機が大好きなので、旅客機の操縦を疑似体験できる「JetでGO2」もよく遊びました。
パワプロシリーズや、リアル野球ゲームのプロ野球スピリッツシリーズも買いました。

しかし、プレステ2が故障してしまい、それからはゲームから遠ざかった生活をしています。

PlayStation2本体の箱の画像

ゲーム好き全盲DYが、ゲームから遠ざかった理由

ゲーム大好き人間の私が「なぜ今、ゲームをしていないのか」について説明します。
今もゲームの情報は追いかけており、決して興味が薄れたわけではありません
しかし、ゲームハードを買ってプレイするには至っていません。

Wiiを買いたいと思って情報を集めていたとき、視覚障害ゲームコミュニティで「Wiiを買ったけど自力でソフトが起動できない」というトピックを目にしました。
まったく新しいインターフェイスでどうやってゲームを遊ぶのかすごく興味があっただけに、自力でゲームソフトを起動できないという情報はショックでした。

この頃、ゲーム機をインターネットに繋ぐことが主流になり始め、ゲームのインターフェイスが求められるようになってきました。
wifiへの接続などの設定項目や、ゲームをダウンロード購入するショップコンテンツを表示するためのホーム画面という概念が必要になりました。
それまではソフトを入れて電源を入れればゲームが始まるという当たり前のことができなくなっていたのです。
起動や設定を自力で行うことに限界を感じ、「無理だ、あきらめよう」となったわけです。

ファミコン時代、カセットを突っ込んで電源入れればすぐにタイトル画面が表示されました。
スタートボタンを押せば冒険の世界へすぐ行けたあの時代が懐かしく感じることもあります。
今でもゲームにはそういうドキドキ、ワクワクな要素が昔と変わらず詰まっていて、ユーザーへの入り口が開いていることも知っています。
しかし、私一人の力ではその入り口を見つけられないのです。
ゲームを起動するために、誰かの目を借りなくてはならないというのはとてもストレスです。

視覚障害者にとってのゲーム

全盲のゲーマーに光明が見えてきた

海外で発売されているプレイステーション4にはスクリーンリーダー(画面テキスト読み上げ機能)が搭載されていて、視覚障害の方でも自力でゲームの起動やシステムの設定などが行えるそうです。
間もなくプレステ5が発売される予定ですが、スクリーンリーダーが日本語にも対応してくれればとても嬉しいです。

全盲の僕でもパワプロをやりたくて試したこと視覚障害者がパワプロ2020を楽しめる5つの設定を考えてみたでも書かれているように、パワプロの操作設定やペナントモードでの選手の起用設定などの文字の部分を読み上げしてくれたり、テキストベースのアドベンチャーゲームの対話部分、選択項目の文字を読み上げてくれると嬉しいです。

ただ、その前にまず、自力でゲームの起動ができるようになってほしいです。
それさえできれば最低でも私が好きな対戦型格闘ゲームは遊べるんです。

また、今はオンラインで人と人とが気軽に繋がれる時代。
家族に限らず画面共有で誰かの協力を一瞬でも得たいです。
そうすれば一人でもオンライン対戦や協力プレイで好きな時間に遊びたいゲームを遊ぶことができるかもしれません。

ePARA主催 ブラインドeスポーツ座談会

先日、ePARA(イーパラ)主催のブラインドeスポーツ座談会に参加させていただきました。

その際に最も驚いたことは、視覚に障害があっても視覚障害者向けゲームではなく、コンシューマゲームでプレイしたいユーザーの多さでした。
そして、ハードの起動を含めて創意工夫して遊んでいる方も多いことも知りました
「ゲームを自力で起動できないじゃん」とあきらめてしまっていた自分がちょっとだけ恥ずかしく思えました。
チャレンジ精神みたいなものを思い出すことができてありがたかったです。

この先、ePARAには視覚障害があってもゲームをしたいユーザーの多さをゲームメーカーに働きかけられるような活動を期待したいですし、関わっていきたいです。
そして、この活動が実を結んだ時、プレイステーション4のスクリーンリーダー機能のようにハード側のアップデートでなんとかできるかもしれない部分も出てくるのではないでしょうか。

テレビゲームは日本が誇るエンターテイメントの一つです。

ゲームから知ったこと、ゲームから学べたこと、たくさんあります。

それは健常者でも、視覚障害者でも同じです。

ゲーム好きな人たちはもちろんのこと、「ゲームの何がおもしろいのかわからない」という人たちとも「ゲームによる学びの素晴らしさ」を共有できる時代がくると思ったらワクワクします。
ePARAの活動が、そんな時代へ向かう力の一部になっていくよう願っています。

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DY

先天性角膜混濁(ピータース異常)で、17歳から全盲で義眼。 マッサージ師のかたわら、作曲活動やポッドキャストの配信等も行う。 ポッドキャスト : DYのPULVERIZEBEAT http://pulverizebeat.seesaa.net/ ブログ : 徒然DY進化論 http://daisukesinkaron.blog8.fc2.com/

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