バリアフリーeスポーツ「ePARA」では、地域・年齢・性別・障害の有無の壁を打ち破るeスポーツカフェ、Any % CAFEのオープンに向けて準備を進めています。(オープニングイベント7月20日、正式オープン2021年9月予定)
新型コロナウィルスの脅威がある中、ePARAでは一般社団法人 Dr.GAMESに感染予防策のアドバイスをいただきながら、障害を持つ方々にも安心していただけるカフェ運営を目指しています。
今回の記事では、ePARAのメディカルパートナーとしてお力添えいただいております一般社団法人 Dr.GAMESの理事・阿部智史氏をご紹介します。
総合内科医・阿部智史
初めまして、一般社団法人 Dr.GAMES 理事の阿部智史(あべさとし)と申します。大学病院で内科診療と学生/研修医教育に携わっている医師です。総合内科と家庭医療を専門としており、この1年間は新型コロナの重症例も診ています。
コロナ禍で日常業務はバタバタしておりますが、大変な時期だからこそ自分の趣味を大切にしたいと考えました。私の趣味はゲームです。そしてここからお話しするような経緯もあるため、医師としての知識や経験を活かして「医療×ゲーム」で人々を健康にできたら良いなと思っています。そこで誕生したのが一般社団法人 Dr.GAMESです。この団体は私のようなゲームを愛する医療者が、ゲームを愛する人々の健康の手助けをするために集まった団体です。
今回は「ゲームが導いたキャリア~ガチゲーマーはこうして医師になりました~」と題して、私のゲーマーとしての人生を振り返ります。少し特殊な経緯を経て医師になったので、その点に注目していただけると幸いです。
ゲーマー人生のはじまり
私のゲーマーとしての人生は、幼稚園の頃にスーパーファミコンを買ってもらったときから始まります。最初は“スーパーマリオワールド”や“ぷよぷよ通”などを楽しむ普通の幼稚園生でしたが、小学生になると“ポケモン”や“ドラクエ”や“ファイナルファンタジー”を一通り楽しむ、ゲーム大好き小学生になりました。しかし高学年になると、中学受験のためにゲームの時間は厳しく制限され、抑圧された環境で「もっとゲームがしたい!」と強く想うようになりました。小学校から中学校ではゲームが大好きなことを表に出し辛かったのを覚えています。「オタクがやるもの」「勉強の邪魔になるもの」という悪いレッテルが貼られており、隠れてこそこそとゲームをしていました。
そのような状態で高校生になり、今度は“ポケットモンスター エメラルド”にはまりました。当時プレイしていた方ならご存知かもしれませんが、“ポケモンエメラルド”にはバトルフロンティアという高難易度のやり込み要素がありました。種族値、個体値、努力値という隠しステータスの概念を学び、卵孵化作業を頑張っていました。このとき、勝つために「本気で」ゲームをすることを覚えました。また、同じ時期に高校で”ぷよぷよ”好きな友人を見つけて対戦にはまり、休み時間のたびにゲームボーイアドバンスに通信ケーブルをつなげて遊んでいました。そして、高校時代に最もはまったのが“ボンバーマンオンライン”です。これはパソコンで対人戦をするタイプのボンバーマンですが、戦略性の高さや技術応用の幅が広く、無限に遊ぶことが出来ました。
このような流れで高校ではゲームばかりしていたため、大学受験は中途半端な努力と生半可な覚悟で受けることとなり、当然受験は失敗します。
フリーターのゲーマーとして悩みながら生きた日々
大学受験に落ちた高校生は普通であれば浪人生になるでしょう。しかし、当時の私は理解不可能な反骨精神を持っていました。「とりあえず一人で生活できるようになろう」と1人暮らしのフリーターになります。主にファミレス店員をしていましたが、繁華街にある、下の階にキャバクラが入るファミレスに勤めていため、色々な社会勉強をすることができました。
そして、アルバイト以外の時間はほぼ全てゲームに費やしていました。“ボンバーマンオンライン”の“パネルアタック”というルールに魅了され、スキルアップに日夜励み、大会で優勝できるほどに成長しました。同時に色々なゲームを並行してプレイしていたので、「“ボンバーマン”をプレイして疲れたので、気分転換に“メイプルストーリー”で狩りをして、そのあとに“ぷよぷよフィーバー”のオンライン対戦に臨む」というような、正真正銘の「ガチゲーマー」として生きていました。特にその頃の自分の熱意は凄かったなあ、と思ったのが、“ひぐらしのなく頃に”という全8作に渡る長編のサウンドノベルゲームをなんと不眠不休でやり続け、4日間でクリアしたことです。(標準プレイ時間は100時間程度らしいです)
ところが、数年が経過して“ボンバーマンオンライン”のサービスが終わってしまいました。また、フリーターとしても「ファミレスに就職するかどうか」という人生の岐路に立たされました。フリーターは風邪をひいて休んでしまうと収入がなくなりますが、正社員は安定した収入を得られます。就職することも本気で考えました。ゲーマーとしての目標を見失い、また将来への不安も強く、「このままで良いのだろうか」と悩むようになって、素直にゲームを楽しめなくなってしまいました。ゲームをやっている間は現実逃避ができるから惰性でゲームをやり続ける、という泥沼の状態に陥ります。
悩み続ける日々を送りながら、ある日ふと「自由な生き方をしている自分には、特にしがらみがない。もっと自由に生きれば良いんだ。」と気付きました。そして改めて、「自分は何をしたいのか」を考え直してみました。自分だけでは考えがまとまらず、旧“2ちゃんねる”の“無職・だめ板”で相談してみました。すると、「君はまだ若いんだから何でも挑戦できるよ」とアドバイスをくれる人がいました。旧“2ちゃんねる”の“無職・だめ板”の住人は、何らかの傷を負った人々が多く、そのためか他人に対してとても優しかったことを覚えています。相手の痛みを理解し、共感して接する姿勢は、医師となった今でも見習うべきものだと思っています。その後アルバイトを辞めて、オンラインゲームも中断し、受験勉強を開始しました。そして、旧“2ちゃんねる”に自分用のスレッドを持ち、毎日の勉強時間を報告して努力し、医学部に合格しました。
ゲーマー医学生として活躍
医学部生は部活動に所属することが一般的で、私は野球部に入りました。医学部生活は忙しく、勉強と部活動で忙殺される日々を送っていました。そんな忙しい日々において、「ゲームしたい欲求」が再び大きくなってきました。過去にゲームに時間を費やしすぎて失敗した反省をいかして、必死に勉強して良い成績を取り、残った時間に必死にゲームをやるという生活を始めました。またこの頃にはゲームが一般的になっていて、ゲーム好きであることを公表しても恥ずかしくない状態になりました。
大学3年生のころは“聖戦ケルベロス”という携帯アプリゲームにはまり、右手勉強しながら左手でゲームするという謎の行動をしていました。(集中力は落ちています笑)このソーシャルストラテジーRPG“聖戦ケルベロス”にて、私は全国ランキング1位のギルドを運営しつつ、個人ランキングも全国1位になるというガチゲーマーっぷりを発揮しました。またギルド運営を経て、人をまとめるのは大変である、という貴重な学びを得ました。
そして最も忙しい医学部5年生のとき、“ぷよぷよクエスト”というソーシャルゲームにはまり、病棟実習をやりながら寝る間を惜しんでゲームをして、個人ランキング全国1位を4か月間取り続けるという快挙を成し遂げました。また、医師国家試験の2か月前には同ゲームのオフライン大会が開かれ、準決勝まで勝ち進みました。ゲームも勉強も両方頑張るようになってからは特に勉強で困ることもなく、無事に医師国家試験にも合格することができました。
ゲーム大好き医師として生きる ~そしてゲーマーにしかできない医療へ…~
医師になってからも、隙間時間を見つけては“ポケモンGO”や“クラッシュロワイヤル”や“ドラガリアロスト”といったアプリゲームで遊んでいます。かつてゲームに全てをかけていた時期に比べると短くなっていますが、今もかなりの時間ゲームをプレイしています。最近は“桃鉄”の全国ランキングで上位をとるために頑張っていました。
私は医師として、総合内科と家庭医療の道に進みました。家庭医療においては、「患者さんを全人的に理解する」ことが重要とされています。「全人的な理解」とは患者さんの人生、趣味、家族、仕事、地域、文化など背景まで含めて理解することです。しかし、患者さんの病(やまい)の体験を理解することは一筋縄ではいかないことが多いです。ゲームで苦しみ、失敗し、それを克服して今現在もゲームが大好きなゲーマーである私には、私にしかできない医療があると考えています。
そしてこの度、その医療を実行するために一般社団法人Dr.GAMESを設立いたしました。活動内容は①eスポーツ大会の救護、eスポーツプレーヤーへの健康介入、②ゲーム依存症・ゲーム障害の方へのサポート、③謎解きなどのゲームを用いた医療情報の啓発です。当法人の活動を通じて、かつての自分のような「ゲームが大好きだけれど依存状態で悩んでいる人」とともに、ゲームと上手に付き合う方法を一緒に模索していきたいと思っています。
長くなりましたが、ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。Dr.GAMESはeスポーツ界に、医学的根拠に基づいた医療と健康を提供したいと考えています。今後の活動にご期待下さい!
参考URL
公式サイト:一般社団法人Dr.GAMES
Twitter:Dr.GAMES【公式】医療×ゲームで人々を健康に