私は愛知県で生まれ、1 歳半から 8 歳までアメリカに住んでいました。アメリカでは現地の人々と交流し、現地の文化の中で生活して日本にないものをたくさん学びました。
そんな私は生まれた時から左腕に障害があります。肘がなく、腕の長さは右の半分、指が 2 本で器用には扱えません。それが理由で嫌がらせを受けることは沢山ありました。カニの手に似ていることから「カニ」と呼ばれたり、寄生獣が流行ったときには「ひだりー」と呼ばれたり。いずれも日本に帰ってきてのことでしたのでアメリカとの文化の違いを感じていました。生活の中で多くのことを右手でこなさなければならない中、右手がとても器用になりました。絵を描くこと、折り紙、工作などは私の中で最も得意なことの一つです。
日々の生活で鍛え上げた右手の神経が今、モバイルFPS というゲームの分野で役に立っています。
パラテコンドーで学んだ勝ちへのこだわり
日本に戻って来てから嫌がらせを受けるようになったことで自分への自信を失い、だんだんと人を避けるようになっていきました。特に中学生の頃からは学校が終わったらすぐに家の帰り、ご飯とお風呂以外はゲームをするか寝るかの 2 択でした。
2020年東京パラリンピック出場を目指す
ある日、母が提案してきたのが、2020 年東京パラリンピックの出場を目指すことです。私自身も何かしてみたいと思っていたので東京都のパラリンピアン発掘プログラムというイベントに参加してみました。障害を持っている沢山の人を集めてそれぞれの興味があるスポーツを体験させ、何かしらの競技で東京パラリンピックを目指してもらうという企画でした。
パラテコンドーに挑戦、日本代表強化指定選手へ
私はその中で、パラテコンドーという競技に惹かれ、競技を始めました。パラテコンドーとは足のボクシングとも言われる韓国の格闘技で、華麗な足技が魅力です。ほとんど引きこもりに近いような生活をしていた私にとって、日々の練習はとても辛いものでした。夜練習から帰ったら何も食べずに寝てしまうことが続き、ひと月の間に 8 キロも痩せてしまいました。競技を始めて 2 年ほどは非常に楽しく、夢中になりながら練習に励んでいましたが、いざ強化指定選手になり、日本代表として海外で試合をしたり、代表合宿などに参加するようになるとモチベーションの維持が徐々に難しくなっていきました。試合ではもちろん結果が出せなければなりませんし、練習は非常に辛いものでした。
いつからか競技の楽しさよりも辛さが大きくなり、練習に行くのも辛く、行き帰りの電車の中でゲームをすることだけがモチベーションとなっていました。同じパラテコンドーの選手で何でも相談に乗ってくれる親友のおかげで何とか競技を続けることができていました。しかし、東京パラリンピックの出場者を決める選考会で私は優勝することができず、補欠選手になってしまいました。これまで東京パラリンピックの出場を目指して頑張れてきたのに目標が1つ失われて一気にモチベーションが低下してしまいました。
外出自粛もあり、練習に通わない時間が続き、沢山考える時間がある中、もっと自分の楽しめることを見つけたい、テコンドー以上に自分が輝ける舞台があるかもしれないと思い、強化指定並びに補欠選手の辞退をしました。
パラテコンドーに注いだ日々で得たもの
2020年東京パラリンピック出場の夢は叶いませんでしたが、この競技が教えてくれたことは私の今までの人生の中でかけがえのない経験を沢山させてくれ、最も影響が大きいものでした。中でも ParaFes 2018 では 6,000 人の前で試合を行い、秦基博さん、May J さん、元 SMAP の方々や他の競技のトップアスリートの方々と同じ舞台で共演させていただきました。
また、「東京2020 オリンピック・パラリンピックフラッグツアーファイナル〜Tokyo2020 500days to go!〜」では吉田沙保里さん、小池百合子東京都知事、TOKIO のメンバーの方々とも共演しました。
そして日々勝利を目指して練習してきたことで、私自身の潜在意識に勝ちへのこだわりが生まれました。それが今、対人 FPS での成長に大きく関わってきていると感じています。
CALL OF DUTY:MOBILEとの出会い
パラテコンドーを始める前から私はゲームにおいて FPS にしか興味がなく、他のカードゲームや RPG では長続きしませんでした。そして、NPC を倒すオフラインゲームにも魅力を感じず、オンライン FPS に焦点を絞って楽しんでいました。頭だけを使って勝負することよりも、多少ハンデがあっても指先の器用さを生かして戦う方が好きだったからです。パソコンを持っていなかった私は PUBG mobileがリリースされることを知り、非常に楽しみでいました。PUBG mobile がリリースされるまでは一足早くリリースされたモバイルのバトルロワイヤルである荒野行動に熱中しました。荒野行動と PUBG mobileを通して私の中に FPS ゲームの土台が形作られていきました。
しかし、当時の私はいずれのゲームでも勝ちにこだわるよりも楽しむことを重視していました。毎回 1 番敵と戦える場所に降り立ち、乱戦を楽しんでいました。バトルロワイヤルが流行る中、CALL OF DUTY:MOBILEがリリースされ、そちらにも手をつけて見ました。これまで戦うのは装備を探すところから始めなければならないところ、最初から平等に戦え、死んでしまっても生き返る新鮮な感覚が好きになりました。一気に CALL OF DUTY:MOBILEしかやらないようになりました。ゲームの中で人と強さを競い合い、1 番上のランク帯を目指す中で、勝つ楽しさが芽吹いてきました。
そしてそれがパラテコンドーで学んだ勝ちへのこだわりと交ざり、パラテコンドーでは繋がらなかった「勝ち」「練習」「楽しい」の 3 つの要素が綺麗に繋がって楽しく強さを求めるようになりました。勝つためにどんな動きが強いのかを考え、練習し、武器の特性を自分で研究することが楽しくてたまらなくなりました。
CALL OF DUTY:MOBILE必勝のポイント
ポイント①キャラコンを駆使する
CALL OF DUTY:MOBILEで障害者・健常者関係なく、勝つのに 1 番重要だと思うのはキャラクターコントロール(略して、キャラコン)つまり自分のキャラクターをどれだけ上手く動かせるかです。このゲームは多くの要素がリアルにできていますが、キャラコンにおいては不可解な動きをすることができます。また、スライディングができるゲームはあまり多くないのでその点だけでもキャラコンのバリエーションが増えます。
2 つ目がタイムラグを理解することです。このゲームは他の対人 FPS と比べてもプレイヤー同士のタイムラグが大きく、考慮しながら戦わなければいけないことです。これは回線、端末のスペックが良いプレイヤーにとっては非常に有利になれる要素です。しかし、私を含めた多くの回線の悪いプレイヤーはこのラグに苦しみます。回線の良い相手は相手は足音で今自分の耳で聞こえる数歩先を歩いていて、出会い頭に撃ち合うと相手の方が早く自分を見ることができ、早く撃ち始めることができるのです。
ラグの中を少しでも不利を補えるのがキャラコンです。相手と鉢合わせするちょっと前に被弾しづらい動きをすることで一方的に撃たれるときの被弾を少しでも減らせます。また、自分の視界に入った後でもキャラコンをしながら撃つことで有利に撃ち合いができます。
ポイント②指を使いこなす
上肢障害者が FPS をするために最も重要なのは、自分に残された指をどこまで使いこなすかです。通常うまくて勝ちにくる健常者は左右で指を 2〜3 本ずつ使い、合計 4〜6 本の指を使用しています。指は親指から遠ざかるほど不器用になっていくので左右の親指と人差し指を使うのが基本です。
しかし、私のように片手の指が 2 本しかなく、その上器用に使えない場合は、もう片方の手の指を増やすしかないと思います。このゲームでは特にキャラコンが重要になってくるので使える指をどんどんキャラコンに必要なボタンに割り振っていく必要があります。参考までに私のボタン配置と手元の写真です。
私は、左手が 1 本、右手が 4 本の指でプレイしています。右手の小指を使っていた時期がありましたが、器用に使えないことで誤タップなどがあり、やめました。薬指もあまり器用には扱えなかったので1つのボタンしか割り振っていません。このように自分の指の器用さに合わせてボタンを配置していくことが重要です。そして、自分の好きなボタン配置ができることがモバイル FPS の最大の魅力だと思います。自分の障害、指の形に合わせられるというのはゲームにおいて障害者個人の特徴や強みを最大限活かせる要素です。
CALL OF DUTY:MOBILEで学んだこと、今後の目標
CALL OF DUTY:MOBILEでは FPS において知っておくべき立ち回り、エイム、キャラコンの基本から応用まで学びました。それらの内容は今後別の FPS においても必ず役に立つと確信しています。このゲームで学んだことを活かしてモバイルの FPS のパラ選手として活躍していきたいと思っています。また、PC の FPS にも興味があります。プレイできる日が来れば全力で頂点を目指し、モバイル・PC の両方で日本のプロパラ eスポーツ プレイヤーとして世界のパラ eスポーツ の FPS 界の先頭を走り、様々な大会に出て日本のパラ eスポーツを盛り上げていきたいです。まだパラ eスポーツは始まったばかりなので、どんどん海外のプロパラ eスポーツプレイヤーとも連携をとり、今の健常者の eスポーツに負けないくらい大きな大会を開いていける環境を作り上げていきたいです。また、パラ eスポーツの世界の認知をあげ、障害が原因でゲーム以外で人生を楽しめなくなってしまった方々にとって大きな夢となれるような存在にしていくのが私の夢です。