※この投稿は2023年7月より「株式会社ePARA」の社員に仲間入りを果たした私、あーりんが、自己紹介記事として寄稿したものです。
ゲーム、それは私にとって "悪"だった。
ePARAで本気で遊ぶまでは....
生い立ち
私は、今となっては神経難病や発達障害を抱え、車いすも使いながら、みんなに心配されることが尽きないくらい、日々さまざまな症状と闘いながら生活しているが、そんな生活になったのは最近(約5年前)のことで、それまではごく一般的な健常者として生まれ育った。
ゲーム大好き幼少期
小学校低学年までは同性の友達よりも、男の子たちとゲームをして遊んでいたくらい、ゲームが好きだった。
寝る間も惜しんでポケモンを育て、ワリオカンパニーの「メイドインワリオ」の虜となり、布団の中に潜って隠れてゲームをしてはよく母に怒られていた。
ゲーム好きの父や4歳上の兄がいたということもあり、幼い頃からガンダムやマリオカート、桃太郎電鉄など自分の好きなゲーム以外も付き合わされつつよく一緒にやっていた。
ちなみに一番最初に遊んだゲーム機は初代ゲームボーイ(1989年発売)。テトリスをひたすらやっていた覚えがある。
初代PlayStation(1994年発売)やNINTENDO64(1996年発売)ではダンスダンスレボリューションでよく踊り狂っていた。
※ちなみに筆者は1997年生まれである。ポケモンは緑(1996年発売)からやっていたと言うと、「エメラルド(2004年発売)の間違いだろ」とよく訂正されるが、第二子ゆえ兄などからのお下がりで緑時代からやっているレアキャラだ。
ゲームは”悪”?!
だが、勉強をしなくてはいけない中学年頃になると、ゲームは1日1時間まで、テストでいい点を取らないとゲームは買っちゃダメ、などいろいろなルールができた。
家系的にド近眼家系なのに、少し視力が落ちるとゲームのせいにされ、ゲームばかりしてるから目が悪くなるなどと言われ、私の中では”ゲーム=悪”となった。
それでもゲームをやりたくて、親の思惑通りに勉強を頑張ったり、トイレやベッドに隠れてゲームをしたりしていた。
夢との等価交換
そんな私は病気になるまでは、心理学の世界に心惹かれながら看護師を志し、成長するにつれていろいろなことを捨てながら一途に看護師として働いていくことを目指していた。
捨てたものは、看護師以外の夢や憧れ、進路選択。物理的にはいわゆる勉強の邪魔になるものとなりやすい、マンガやゲーム機、ゲームのソフトも高校時代にほとんど捨てた。
高校では、進路が決まるまでガラケーを貫き通した。私の高校時代にはスマホが主流となっていき、高校3年の頃はクラスでガラケーは私と社会科の先生の二人だけだったが、絶対スマホゲームなどにハマってしまうと思い、悪しきゲームを避けるようにスマホを持つことを拒んだ。
ゲームとの距離感
大学時代も看護学校に進学しようと勉強しているときは、スマホに機能制限をつけてゲームをする時間を制限し、受験が近づくにつれて、ゲームは全て学習系のゲームのみとする徹底ぶり。今思うと、ゲームが好きなのに、”悪”であるゲームと頑張って距離を取り、でも”やりたい!”と言う気持ちをなんとか消化し、フラストレーションを溜めないように…と自分なりに模索し頑張っていたのだなぁ、と思う。
難病発覚
しかし、目標実現に向けての努力も虚しく、受験勉強をしていた頃から体に異変を感じ始め、21歳のときに筋痛性脳脊髄炎という神経難病の診断を受けた。その約半年後にはこの病気の専門医から、進学や看護師として働くことは難しいと宣告され、私の一途な夢は砕け散った。
失った夢、得た自由
看護師になるためにいろいろなことを捨て、制限してきた故、「この努力はなんだったんだ…」と当然ものすごく落ち込んでいたが、一方で「自由だーーーーー!」と何か自分を縛っていたものから解放されたような感覚もあった。
良くも悪くも人生の転機
難病になり、無茶もしすぎてあっという間に車いすを使うようになり、私の障害者としての人生が始まって2年くらいたった頃、友人であり今では車いすeサッカーチームePARAユナイテッドキャプテンのとりちゃんから「車いす11人でサッカーゲームをしようと思うんだけど、やってみない?」とお誘いいただいた。
夢を失った故、自由になった私は、今まで悪だと思って距離を必死にとってきたゲームに抵抗を感じるどころかむしろ「我慢してやれなかった分思いっきりやってみたい!」と思い、迷うことなくこの誘いを受けた。
ePARAとの出会い
最初は今までの名残で、体のことも考えて、1日1時間しかプレーしちゃいけないと思ったり、体に痛みが出たら、”ゲームはやっぱり悪だ!”と思ったりしてしまいがちだったが、ゲームをきっかけに新たな出会いがあり、その1つが、今回入社したePARAとの出会いだった。ePARAの『本気で遊べば、明日は変わる』というスローガンを信じ、今までできなかった分も上乗せして本気で遊んでみた。
本気で遊んで、変わったゲームの価値
ゲームをプレイしていく中で、周りのリハビリさんやチームメイトとの関係を築くことができ、また、ゲームのおかげで、痛みの出にくいポジショニングや姿勢・環境づくりもできた。そして、体力・集中力もつき、本気で遊ぶための自分の体調のマネジメントやチームで動いていく中での協調性やコミュニケーションスキルを磨くこともできた。
ゲームはお酒と似ている?!
今までは、ゲームは、未成年の頃の私の中でのお酒のイメージのように、使い方によっては悪しき娯楽で、こんなにも得られるものが多いツールとは思ってもいなかった。でも実際大人になって、お酒とうまく付き合い、嗜むようになってからのイメージと、本気で遊んでみたあとのゲームのイメージは近いものがあり、飲みニケーションのように、ゲームをしながらであれば、性別年齢問わず、共通のテーマでコミュニケーションがしやすくなったり、活動の潤滑油的な役割であったり、生活の張り合いや、目標ともなり得るツールなのでは!?と感じている。
(ちなみに筆者はお酒もゲームもそれに付き合ってくれる仲間も、それによって広がるつながりも大好きだ♡笑)
ゲームは百薬の長
付き合い方によっては百薬の長ともなり得るゲームを、一概に”悪”と捉え、遠ざけてしまうのはとってももったいないことだと感じ、このゲームの可能性を生かして、さまざまな人が障害やバリアフリーに関わるきっかけとなったり、障害者の社会参加のきっかけ作りとなったりしていくような活動を私も一緒にやりたい!と強く思うようになり、ePARAとさまざまな面でより深く関わり、一緒に活動するようになった。
今回の入社の決め手
私は体調が基本的に常に悪く、思うように体や頭が動かなかったり、いろいろな場所を飛び回って活動するやる気はあっても体力がついていかなかったりすることも多い。その上、学生時代に発症してしまったために社会人経験もない。そのため、経験値がそもそも少なく、自分ができることが限られており、多くのことはできないのだが、ePARAは私に「あなたの笑顔を雇わせてください。ただあなたに笑っていて欲しいんです。そのありのままの笑顔が欲しいんです。」と言ってくれた。この言葉が何よりも嬉しく、ePARAに入社する決め手となった。
ePARAの魅力
オフラインでの感動がやっぱり一番だが、ePARAはフルリモートでも熱く、闘志を燃やし合える魅力的なメンバーが揃っている。これは本当にePARAの強みだと思うし、リモートでも参加できることで、選択肢が広がり、病気や障害があっても社会や仲間とつながること、病気や障害と共存していくことができるので、私自身とっても救われている。
今、私だからできることを
この先も体調などで表に立てることばかりではなくなってくると思うが、裏方やサポート班としてもePARAを私らしく笑顔で盛り上げていけたらと思う。
そしてたくさんの人に、ゲームは必ずしも”悪”ではなく、むしろゲームで広がる世界や身につくスキル・可能性を伝えていき、私のような『本気で遊べば、明日は変わる』体験を一人でも多くの方に味わってもらいたい。