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プレイレポート

普段の暮らしにある感情の素晴らしさを知る〜恋愛ゲーム「florence」レビュー〜

あまだれです。

私は46歳になる統合失調症と広汎性発達障害を診断されている引きこもりの中年男性です。

これまでの自分を振り返ると、ふと誰かと感情を交わしながら相手の心に丁寧に向き合う経験がほとんど思い出せないことに気づきます。

一度、結婚をして離婚も経験してはいますが、その時の彼女を思い出すたび、もっと私自身が丁寧に彼女自身に向き合うことができていたらと後悔することばかりです。

恋愛グラフィックノベル形式のパズルゲーム

このゲームは、マックのappstoreでおすすめに出てきていたゲームで「florence」というノベルゲームです。

オランダの会社が作った恋愛をテーマにしたゲームになります。

普段の暮らしの中にある恋愛感情の物語

恋愛のストーリーを扱ったゲームでありながら、キャラクターの嘘や裏切りや二面性をあぶり出すような重たいテーマではなく、本当に生活の中でふと起こりうる(というか起こっているであろう)出会いや出来事とその広がり、顛末に物語の視点を置いているゲームです。

同時に、その語りは言葉に頼ることがなく、画面上のゲーム的な操作によってプレイヤーの心にキャラクターの感情を想起させるような作りになっています。

そして、このゲームにある恋愛のありさまは「願望を満たすこと」を目指していません。

普段はできないような恋物語を楽しむものではない。

王子とお姫様のドラマチックな物語ではなく、葛藤や嫉妬が渦巻くサスペンスフルな物語でなく、僕たちの普段の暮らしの中にあるふとした小さな気持ちのやりとりにこそ、つまり街中の普通のお兄さんと女の子の普通の出会いにこそ、普遍的で素晴らしい価値があるのだと思える物語です。

同時に、その価値の見出し方や読み解き方を一つのヨーロッパのゲーム制作会社が提示するものでもあります。

彼らはおそらくこのゲームを作った時にこう考えたのではないだろうかと思うんです。

「普段のこの小さなやりとりや時間にはこんな幸せな見方があると僕らは思っています、どうですか?」

と。

その普遍性の証明ということになるかはわからないのだけど、ゲームアワード2018をはじめとして多くのゲーム賞を受賞、またノミネートを果たしている名作ゲームです。

クリアに重きを置いていないゲーム、その魅力とは

ただこの「florence」、物語がそのような身近な題材である以上、ゲームと言っても攻略すべき難しい課題は全くなく、ほとんどは決まった流れをなぞる形の紙芝居的なものになっています。

ゲームで難しい問題を解き明かすことに惹かれる方やプレイの習熟度を上げることに達成感を覚える方には、あまりおすすめできるものではないのかもしれません。

それでも私がこのゲームに感動したのは、クリアするために試行錯誤する面白さとはまた別のところでした。

「florence」の主人公の女性と男性が食事をしている様子。空の吹き出しが付いていて、その下に吹き出しの形のパズルがあり、ピースで吹き出しを埋めるようになっている。

会話のシーンがあります。

これまでのゲーム経験では、何を話すかを選択するというゲームが一般的に思っていました。

が、このゲームでは会話の言葉はありません。

会話の吹き出しがあるだけで、その吹き出しの周りにジグソーパズルのような塊が並んでいます。

そのパズルをきれいにはめると一つのメッセージになる

会話の言葉それ自体よりも相手に言いたいことや気持ちを

最初はフワッとした吹き出しで中身がなかったとしても

きれいにまとめていけば一つのメッセージになる

そのやりとりを繰り返すと

パズルは難しくなるのではない、

むしろその後はパズルは簡単になっていく

それは、相手とのコミュニケーションが上手くなったという実感をあたえてくれる形になっていて、そんなゲームは私はそれまで体験したことはありませんでした。

ゲームはクリアすること、または上達することに大きな魅力があることは、既存の名作ゲームの数々が証明していることです。

が、このゲームは違うベクトルに向かっている。

むしろ、逆の方向と言ってもいい

クリアすることに重きを置いていないゲーム、なのにどうして魅力があるのか

このゲーム体験がもたらすものは、ゲームしている自分自身の達成感ではなく、物語やゲームの世界にいるキャラクタの行動や思いをなぞるという魅力にあります。

私自身は、精神的な成長の未熟さに加え、ある種の知的な部分の遅れと広汎性発達障害が重なったため、人との会話や関わりが今も困難な部分があります。

これまでのゲームにあった「どちらの文章を選べば物語がプラスに動くのか」ではなく「思いをあらわす吹き出しを綺麗に埋める作業をすれば会話が楽になる、ただそれだけ」のこのゲーム体験は、本当に自分の足りない部分を優しく可視化してくれたように思っています。

人との関わり、または恋愛の良い部分も辛い部分もどちらも意味がある(価値がある)ということをゲームで思い出させてくれる、知ることができる。

物語はあまりにありふれていて、劇的な展開はまるでないのにもかかわらずこれほどの感動を覚えたことは、僕自身がそういう障害を抱えて今も一人で孤立している人間であることを反映していると思います。

それでも多くの人に勧めたい、普段の何気ない喜びであったり怒りや悲しみの当たり前を思い出しながら、その意味を見直すきっかけになるのではないだろうかと僕は思っています。

「florence」の主人公の女性と男性がキッチンで並んで洗い物をしている様子。その上には悩んでいる顔の女性や頭を抱えている男性の顔が描かれている。

ゲームの素晴らしさを押し上げる音楽とイラストレーションの力

このゲームの魅力を特筆すべきレベルに上げているのは間違いなく音楽とアートワークだと思います。

オランダの方が描いたであろうヨーロッパ的なコミックにある、洗練されていて温かみある風景と音楽は、とてもおしゃれで染み入るものがあります。

日本の萌えアニメの絵柄にも強い力がありますが、例えば失恋のシーンひとつであっても、リアルタッチであったりアニメ画風であるとある意味では強調しすぎてしまう表現が、ここではとても暖かい何かのようにも感じられます。

普段のアニメ表現、日本のコミックや映像表現ではなし得なかっただろう感覚と感情の再現がゲームを通して実現されていることに私は本当に感激しました。

重ねて言いますが、クリアすることに重きを置いたゲームでなく、その辺りでは面白いとは言えないゲームです。

それでも私はこのゲームが大好きです。

過去の誰かとの恋愛や、そのほかの関係性を思い出す人もいるでしょうし、そうではなくてもとても素敵な1時間余りのプレイ時間を提供してくれるゲームです。

ゲームにはこういう可能性があるのだ、と今もたまにプレイを振り返ると心にたくさんの感情が湧き上がる「florence」でした。

あまだれ

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amadare

45歳、長期引きこもりの中年のおじさんです。 統合失調症で精神保健福祉手帳を所持しています。 最近、発達障害の疑いも加わりました。 お絵描きが好きで最近はゲームの背景イラストを真似して描いています。

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