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障害とゲーム

聴覚障害者?ろう者?難聴?聞こえない・聞こえにくいって? ~”ありのままの自分”をモットーに表現者”かのけん”が描く未来図とは【前編】

みなさんこんにちは、納豆が大好物な「かのけん」と申します。特にまぜまぜした後にひいた糸をズルズルと啜るのが大好きです。スルーしてください。

私は、先天性感音性難聴といって、生まれつき耳が聞こえません。両耳95-100dB程で中度と重度の中間あたりでしょうか、裸耳の状態ですとほとんど音がわかりません。

そんな私とゲームとの関わりについてご紹介する前に、今回は前編として私の今までの成長と葛藤を振り返りながら、「ありのままの自分」を受け入れるに至った経緯をお伝えします。特に、中学時代、ろう学校への入学を機に「手話言語」に出会い、また様々な「ろう文化」を知れたことは、私にとって価値観がガラリと変わるほどとても大きなものでした。

楽しそうにダンスをするかのけんと車椅子で美しく舞う女性
ダンスをするかのけん(左)と車椅子に乗ってダンスをする女性
True Colors CIRCUS /SLOW CIRCUS PROJECT『T∞KY∞ ~虫のいい話~』
Photo: Ryohei Tomita

かのけんの略歴

幼い頃からダンスを好み(きっかけはモーニング娘。)、大学生より本格的にストリートダンスを学ぶ。デフコミュニティの当事者としてアイデンティティに悩みながらも、舞台やメディア出演、海外留学などの経験。現在は「ありのままの自分」をモットーに、下記を含め様々なダンス、ミュージカル、映像など幅広い分野の作品に参加実績を持つ。

※2022年1月追記 2021年12月31日に放送された NHK「第72回紅白歌合戦」内で、かのけんは「マツケンサンバⅡ」でダンサーのひとりとして出演しました。

かのけん年表

2017東京2020公認文化オリンピアード SLOW MOVEMENT Next Stage ショーケース&フォーラム「聞こえなくても、聞こえても(ダンス劇)」 
ヨコハマ・パラトリエンナーレ2017 空中パフォーマンス (エアリアル)
Rock Carnival ミュージカル 2017あうるすぽっとタイアップ公演シリーズ:「夏の夜の夢」 
2018国際障害者舞台芸術祭True Colours / in Singapore「Seek the Truth-真実を求めて-」(演出・振付:DAZZLE)
ニコニコ超会議 「Sync-pulse 振動で踊ってみた」出演
2019ゲキワルナイト-Danceと福祉をつなぐ-(チョイワルナイトvol.10)-GEKIWARU CREATION-
アガイガウガ プロデュース 「越境」出演
2019年11月より渡米(Colorado州Denver)
2020True Colors MUSICAL PHAMALY「Honk!」(猫役)出演
ヨコハマ・パラトリエンナーレ2020
パラトリTV ディレクター
2021DANCE DRAMA「Breakthrough Journey」BOTAN、teamTOKYO 出演
日本初のソーシャルサーカスカンパニー初公演
True Colors Circus SLOW CIRCUS PROJECT『T∞KY∞ ~虫のいい話~』出演
東京パラリンピック2020 開閉会式出演
NHK「第72回紅白歌合戦」内、「マツケンサンバⅡ」出演

僕のアイデンティティとは

みなさんは「聴覚障害者」と聞くとどんなことを想像しますか?「手話」だったり、「筆談」だったり、様々なことを思い浮かべることと思います。

私の場合、私以外がみな聞こえる家族のもと日本語環境(第一言語が手話ではないということ)で育ってきたこと、また幼い頃から補聴器を装用し発音や聞き取りの訓練をしていたということもあり、1対1の会話程度であれば口話でコミュニケーションをすることもできます。

また、小学校まではいわゆる普通学校(インテグレーション教育)に通っていました。聞こえないことで嫌な思いをしたこともありましたが、活発な子ということもあり楽しい思い出も残っています。
社会に出た今だからこそ、嫌な思いをしたこと含め当時の経験はとても大事なものだったのだと、親には感謝しています

まぁでも、からかわれたことで嫌な気持ちになったことを勇気を出して母親に打ち明けた時に「よかった〜!けんちゃん(笑)」と言われた時は流石に「ッッ!?」となりましたが。母親曰く、社会にはとてもシビアな面がたくさんあるとのことで小さいうちにその面を経験ができてよかったとのことでした。

小学生ながら社会のプチ洗礼を受けたあとは、親が自由に進路を選択させてくれたということもあり、中学生以降ろう学校に通うことを決意しました

手話言語・ろう文化との出会い

小学校まで口話が主だった私にとって初めての光景を目の当たりにします。それが「手話」による会話でした。

手話の存在は小学生時の長期休みに、ろう学校で行われていた交流会で見て知っていたのですが、私たちが生まれた90年代はろう学校では発音教育が大事であるといった考えがまだ少し残っている時代でした。その後の「その子にあった教育を=手話・口話の選択」という時代への過渡期です。
交流会では大きな声でパクパク話す+身振り(または指文字)で通じていたので、手話で話せないことで困ることがなかったんですね。だからガキンチョな私は「手話覚える!」など思うはずもなく。

それが、ろう学校に入るなり、目の前でガッツリと手話で会話され、全然会話について行けませんでした。むしろ指文字を覚えたぐらいで「手話知ってるし〜」になっていた自分が恥ずかしく思えてくるほどでした。
会話についていけないもどかしさが悔しくて半年ぐらいでなんとか会話できるレベルにはなりました。おかげさまで言語習得において環境の重要性を中学生ながらにして知ることができました(笑)

また、ろう学校での生活において、例えば先生が板書中に伝えたいポイントがあった際、ノート取りに集中している生徒を呼ぶためには電気をオンオフして気づかせたり、足踏みによる振動や肩をトントンと叩くことで相手を呼んだりします。
このような、聴覚ではなく視覚・触覚的な生活様式は「ろう文化」のひとつであり、小学生まで「聴文化」のもとで育ってきた私にとってとても新鮮なものでした。

何より「聞く」ことにこんな神経を使わなくていいんだ〜、と気楽に過ごすことができたのでとても快適でした。慣れていたとはいえやっぱりどこか疲れていたんだろうなぁと思います。

「聞こえない・聞こえにくい 自分」への葛藤

手話・ろう文化との出会いにより、自分の学生生活が豊かになり充実した学校生活を送ることができました。しかしそれはあくまでも「ろう学校」の中での話でした。

私の実家は秋田で、現在私が住んでいる東京に比べるともちろん田舎です。田舎なので聞こえない人の絶対数が少ないんですよね。私のクラスなんて4人なのに多い方でしたから。
思春期真っ只中の私にとって、中総体での入場行進なんて少ないのが逆に目立ってすごく恥ずかしかったです。そして何より通学時間がとても孤独でした。

電車内では他校の学生同士が横並びで座ってお互いの顔を見なくても会話が成立しているし、自転車こいで通学している学生達は乗りながらでも会話できているし、世間では「普通」であろうことをできない自分に対して嫌気がさして。特に気にはしてなかったのに「自分って聞こえない人なんだなぁ」とネガティブに捉えるようになりました。でもそんな気持ちはろう学校に着くとぱっと消えちゃうし。なんなんこのモヤモヤは?って日々でした。

「それならば高校は都会のろう学校に行けばいいのでは?ピピピーンッ!」と、都会=生徒多い(はず)と単純思考バカな私は、毎年全国からの受験者が集う某国立のろう学校を受験、入学したんです。

地元からかなり遠い県で、寮生活でした。またその寮はろう学校の敷地内にあったため、高校時代は本当に閉鎖的なデフ(ろう)コミュニティの中での生活でした。日常会話は手話でしたし、日々「ろう文化」に囲まれながらの生活だったため、聞こえないことをネガティブに捉えてしまう場面はほぼなく、むしろ「聞こえないからこそ出会えたんだよな」と聞こえない・聞こえにくいことを誇りにすら思うようになりました。ろう文化って素晴らしい!大好きー!って。

ダンスをはじめて

そして大学では好きだったダンスを本格的にやるように。
ありがたいことに「聞こえないダンサー」としてメディアで取り上げていただく機会も何度かありました。『テレビ見たよ、すごいね!』と言ってくれる人もいたんですが、僕が恵まれていたのは、それに対しちゃんとつっこみをしてくれ、色々なことに気づかせてくれる親友がいたことです。自分の踊る意味について考えるきっかけをくれました。

『自分の子どもも補聴器着けて発話練習しさえすればテレビで踊るかのけんみたいになれる、と親御さんが安易に思ってしまうのが一番怖い』と言ってくれた同級生もいました。

「聞こえない・聞こえにくい」の状況や育ってきた環境は人それぞれですし、「努力すれば必ず聴力がよくなる」といった思い込みは、大きな危険性をはらんでいます。耳が聞こえない・聞こえにくいことそのものが「劣っている」という価値観にも繋がりかねません。

そもそも私は物心つく前から踊るのが大好きで、『聞こえないとは?』みたいに考える前から踊っていたので、自分が踊る意味について答えなんか出るはずなんかなく、今度はそのことにとても悩みました。

自分って何者なの?

聞こえない・聞こえにくい人を指す言葉は「ろう者」「聴覚障害者」「難聴」などとさまざまで、その定義はとても複雑なものです。

私は大学時代に「将来『ろう者』として表現者になりたい、踊りたい。そして大好きな『ろう文化』の素晴らしさも伝えていきたい。」と決意したのですが、この「ろう者」を自認する人には、手話言語を使うことを誇りに思い、そして聞こえないことを肯定的に捉える傾向にあるんですね。「音」という単語は知っていても、「音」そのものが分からないといいますか。

つまりそういった意味では自分は難聴というべきなのではないだろうか、と。

なぜならば、先ほども述べたように聞こえる親のもと日本語環境・聴文化のもとで育ってきた私にとって「ろう文化」とはあくまで獲得したものになるんです。

第一言語が手話言語ではないし、自分の考えを自分の言葉で相手に100%漏れなく伝えるには日本語での会話が一番ダイレクトに、スムーズに伝わるということも頭のどこかちっこい片隅で思ってい「た」自分がいました。
少し聞こえる(聴覚活用している)自分が「ろう者」という言葉を簡単に口にしてもいいのか...と

じゃあ「聴覚障害者」でいいのでは?と思うかもしれませんが、ちょっと不便に感じちゃう場面はあっても「聞こえない・聞こえにくい」ことは別に「障害」ではないんです

じゃあもうなーーにーーーー。

こんな感じで自分の立ち位置といいますか、アイデンティティにとても悩むようになり、いつしか自信も持てなくなっていました

ありのままの自分でいい

このような学生時代を経たのち、私が「ありのままの自分」でいいと思えるようになったのは、本当にたくさんの経験と出会いのおかげです。

それは例えば、

・デフコミュニティ内での新たな出会い、友人とのやり取り

・アメリカ(NY)にてスケールの違う「自由さ」「自分らしさ」で輝く人々を目の当たりにしたこと

・数多くの舞台(国内外)を通してたくさんの方と出会えたこと

などです。

様々な経験の中でたくさんの方に出会って、自分が知らなかったこと、考えたこともなかったことにも触れ、視野を拡げることができました。自分自身の悩みについて直接的な解決には繋がらずとも「まぁこんな自分でもいいじゃん。」と思えるようになったんですよね。「かのけんはかのけんだわな」って。

果たしてこの考え方に辿りついたことが正解かどうかはわからないのですが、でもきっとこう思えたことが、あのパラリンピックの開閉会式という大舞台にて精一杯パフォーマンスをさせていただけたことに繋がったのかなぁと思うようにしてます。
かのけんと聴覚障害について少しわかっていただけたところで、ゲームとの関わりについては後編に続きます。

聞こえない・聞こえにくくても楽しむこと~”ありのままの自分”をモットーに表現者”かのけん”が描く未来図とは【後編】

ライター:かのけん
先天性感音性難聴のプロダンサー。東京パラリンピック2020開閉会式にも出演。
好きなゲームはスプラトゥーン。持ち前の明るさと積極性で私立ePARA学園でも色々なタイトルに挑戦中。

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